写真1:田岡さんの後ろ姿。最近すっかり背中が丸くなってしまいました。
中古車丸亀店には知る人ぞ知る偉大なる巨人がいます。
名前は田岡さんと言います。
ここ十数年は裏方に徹していましたので、会った事の無い方も多いと思います。
その田岡さんが3月30日、東四国スバルを退社する事になりました。
長い間、本当にありがとうございました。
そしてスバルでのお仕事お疲れさまでした。
写真2:続々と入ってくる下取り車をどんどん捌く仕事をしていました。とてもハードな仕事です。
全国のスバルの中でも屈指の長い期間を勤めた田岡さんですが、始まりは昭和44年(1969年)4月に富士重工に入社したところからスバルでの勤務が始まります。
富士重工にあこがれて入社したとの事です。
その時は東京の三鷹事業所に勤務していたとの事。
スバル1300Gの生産管理などに携わっていたそうです。
昭和49年(1973年)8月にサービス出向として丸亀店に勤務する事になりました。
その際に2級整備士の資格を取得したとの事。
だから色々な作業ができたんですね。
写真3:田岡さんはこの店舗の立ち上げにも携わっていました。今から43年前(昭和53年)の事です。
昭和53年(1978年)5月には東四国スバルの中古車部の立ち上げに携わります。
無いものを1から作り上げるのはとても大変だったと思います。
事務所立ち上げ後しばらくして、諸般の事情により事務所が自分で運転して帰って来たバスだったりと、かなり波乱の時期だったようです。
私が入社した時には、事務所はクレーンで設置できるプレハブになっていました。
写真4:退社後のデスクはすっかり寂しくなってしまいました。時々遊びに来てください。
平成に入ってからはクラシックデザインの軽自動車、VIVIOビストロの爆発的なヒットがあり、購入希望者が列をなすなど今では考えられない時代も経験し、10年ほど前に嘱託勤務に。
それからは裏方担当として大変な職務をこなしてこられました。
裏方になっても「田岡さんはおるんな?」と尋ねてくるお客様は多く、それまでの仕事ぶりが垣間見える方でした。
写真5:52年という歳月を考えると本当にささやかですが、みんなで記念品をお送りしました。
「コロナじゃなければ盛大な飲み会ができたのにな」とおっしゃていましたが、本当にそうですね。
残念ながら飲み会はできませんが、これまでの長年の勤務を記念してささやかながら記念品の贈呈をさせていただきました。
写真6:日々忙しい中、仕事の写真を撮る事はほぼありませんが、この日は集合写真をパシャリ。
大変な仕事内容でしたので、これからはスバルの仕事はスッパリ忘れてゆっくりされるのかなと思っていたら「さっそく田植えの準備をせないかん」との事です。
私なら1か月ほど家に引きこもりたいところですが、バリバリ働く人はやっぱり違うな、と思いました。
写真7:最後は自然とお見送りに。スバルの歴史に名を刻む仕事ぶりだったと思います。
52年という歳月はあまりに偉大で、まさにスバルの歴史に携わったと言えると思います。
これからはお客様としてのご来店をお待ちしております。